茶道をはじめてみませんか? 茶道の作法や魅力についてご案内します。

お茶の歴史 2

「わび茶」はその後、武野紹鴎と弟子である千利休の二人の手によって工夫され、安土桃山時代に完成されたのです。

茶の湯の大衆化に拍車がかかり遊芸化が進んでいって「わび・さび」に対する理解が次第に変わり、大衆には理解し難い振る舞いとなってきます。

遊芸化の傾向に対して本来の目的である「人をもてなす時の心」が強調され大徳寺派の臨済宗寺院がその役目を果たしたのです。
利休流茶道の「和敬清寂」という言葉もこの過程で生まれたようです。
点前の形態・茶会様式の状態に加えて、茶道本来の精神である「人をもてなす事の本質とは」を見直して現在の「茶道」と呼ばれる茶の湯・わび茶が完成したといわれています。
改革と衰退が繰り返されて今の「茶道」が確立されたのです。

さらにわび茶から発展して流派をなす大名も現れてきます。
現代では 武家茶道・大名茶・・・などと区別することもあります。


「数寄道」「茶の道」などと呼ばれていた「茶の湯」「わび茶」は江戸初期になってから「茶道」と呼ばれるようになります。

江戸時代初期までは大名・豪商などが中心でごく限られていましたが、経済の実権を町人が握るようになると三千家を中心とする千家の流派は町人による新たな参入者・門弟を大量に受け入れるようになりました。

大勢の参入者・門弟に対処するために、新しい稽古方法が考案され、新たな指導方法・組織形態と変わっていきます.

これによって茶の湯は庄屋・名主・商人などの習い事として日本全国へ広く普及したのです。
また町民文化の影響も浮けて新たな茶の世界へとも変わっていきます。
この大量の門弟をまとめるための組織形態が家元制度なのです。

新たな組織形態・・・これが現代の家元制度です。
新たな茶の世界・・・物事にこだわらない気風が吹き込まれて、極小茶家から拡張・改築されて茶道具も華やかで派手なものに変わってきます。


女性がお茶に関わったのは明治時代になってからであり、女子の教養の一つとして取り入れられたのです。
本来のわび茶とは別に女性のたしなみの要素が加わり、着物姿での華やかな茶会が当たり前となります。



(ウィキペディアの茶道を参考)
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