茶道をはじめてみませんか? 茶道の作法や魅力についてご案内します。

お茶の流派

千利休は織田信長の茶頭として、信長の死後は豊臣秀吉の茶頭として仕えました。

その千利休の茶の湯が一世を風靡されるようになります。
すると茶の湯と言えば、千利休の茶の湯を指すようになりました。

利休流茶道の根本として「和敬清寂」の四規を大事にしています。
「和敬清寂」とは閑寂・清澄な世界、枯淡の境地を示しています。
物静かで寂しげな場所・環境、また枯淡な趣を美意識としたものとも言われています。
主人と客がお互いの心を和らげ、そして慎み・敬い、茶室の道具を汚さずに、茶会の雰囲気を壊さないようにすること。

「和」
 お互いに心を開き仲良く茶事を楽しむこと。 
「敬」 
茶事に対して、自己は慎み、他人は尊敬することであり、また掛け軸・茶入れなどそれぞれにも敬意を持って向き合うこと。
「清」
 茶室を掃除して清め、新しい花・茶などを用い、そして寂びからの風流なものである茶入れ・茶碗はよく拭いて清める。
 また心も清めなければなりません。雑念を去り、少しのわだかまりも持たずにさわやかな気持ちで茶事を行う。
「寂」
 心が清く、利害の心を交えないことで心を落ち着かせ、心を動かされないようにすること。

和敬清寂とは茶事における主と客の相互の心得であり、茶庭・茶室・茶器などに関する心得なのです。


流派は数多くありますが、その中でも千利休を祖とするのが「千家」です。
宗旦の息子のうち三人がそれぞれに流派をたて千家は三千家に分かれます。
それが「表千家」「裏千家」「武者小路千家」です。

表千家
千家流茶道の本家であり、表千家の象徴である「不審庵」が通りの表にあることに由来しています。
[不審庵」とは千利休の庵号です。

利休の没後、千家は二代目・三代目と続き、三代目の宗旦の隠居を機に、三男の宗左が千家の直系である「不審庵」を継承したのです。
この庵号を代々受け継いでいるのが千家の直系であり本家といわれている表千家です。


宗旦は隠居場所に「不審庵」の裏に「今日庵」を建てますが、宗旦が亡くなると四男・宗室が「今日庵」を継承して独立します。
これが裏千家です。

次男の宗守は養子先から戻り、別に一家を起こします。
これが「武者小路千家」です。

これらが「三千家」であり、
表千家・裏千家・武者小路千家の始まりです。



ウィキペディア茶道の歴史参考
goo辞書参考
「茶と禅」伊藤古鑑著より参考
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